読者の方から「月に1・2回着物を着てお出かけして・・ピリッ!としたい
気分です。メルマガ楽しみにしています。」とメールをいただきました。
着物を着て外出とは、日本伝統を守ると言う意味でとても素晴らしい事です。
着物を着慣れている私でも、時には面倒だな‐と思う時があります。
洋服の方が数倍簡単便利ですが、そんな風にピリッ!とする事は、気分
転換にもなり、自己発奮にも、ストレス解消にもなるでしょう。
面倒だと思うと、あらゆる事に、生きている事さえも面倒に思えます。
気分、場面で、スイッチを切り替えて人生を楽しみましょう。
<掛物 禅語の読み方>
「無」む
禅宗はいっさいの無駄を取り除き、必要最小限のものがあれば人間生きてい
けることを実践する思想である。その影響を強く受けた茶の湯の場合も、余
計なものを極力省いた茶室の中で、亭主と客がお互いの心を「無」に近づけ
ていく営みといえる。「無」というのは、何もないことではなくて、むしろ
何もないからこそ、逆に多くを受け入れることができる無限の広がりを持つ
ものだ。茶席でのこの一字を拝見する時は、心を空しくして自分を見つめ直
し、人間にとって本当に必要なものは何かを考えたいものである。
「無事」ぶじ
年末の茶会には、一年何事もなく過ぎたことを喜び、来年の息災を願って、
よくこの掛け物が使われる。しかし、人間誰しも様々な苦しみや悲しみに
見舞われ、一生を振り返ってみれば何事もないことのほうがむしろ少ない
かもしれない。だからこそ無事であることの喜びもまた、ひとしおなので
ないだろうか。人に言えない努力を重ね、様々な難関を乗り越えれば、無
事の有り難さをしみじみと感じることができる。この二字を拝見する時に
は、ぜひそんな境地に立てるようになっていたいものだ。
「無事是貴人」ぶじこれきじん 同様の意味である。
<茶事>についての補足
<懐石の決まり事>
懐石は、料理の量や山海の珍味、見事な包丁さばきを誇示するものではなり
ません。簡素だが、季節の旬のものを生かした料理であるべきです。
その旬の味わいや香りを主客一体となって分かち合うのが懐石の楽しさです。
近年は、促成栽培により一年中出回る野菜が増えましたが、懐石においては
せめて季節を味わう喜びにひたりたいです。海、山、里の季節の新鮮な材料
を吟味した料理は、心を豊にしてくれる何よりのご馳走です。
特に八寸は季の物のはしりが用いられます。山椒、じゅん菜、土筆など、旬
の期間がわずかしかない物をいただくのも格別の思いがあります。
|