十月一日は、お月見の日でした。
こちらは朝からの大雨でした。
でも、夜には煌煌とした月が見られました。
ここで、和歌の一つでもすらりとでれば…凡才にはどうも
お茶を点てている間に、和歌や俳句を作ったりしますので、この方
面も本当は勉強しなくてはいけないのです。そしてそれを短冊や巻
物に書いたりしますので、習字も練習しておかねばなりません。
それゆえに、茶道は総合芸術と言われるのです。
月見には団子、今夜の私は、芸術はちょっと横に置いておいて、白
玉粉でお団子を作り、あずき、桃の缶詰、バナナ、ヨーグルトをか
けて月見をしながら食べました。
豪華な?団子はただ単にのこり物の整理をしただけですが、
そんなことは言わず、アイデアの総集編でございます、と言いましょう。
茶道具
茶掛け(ちゃがけ)の一行物について
中秋の名月にふさわしい物を紹介します。
「清風拂明月」
清風(せいふう) 明月(めいげつ)を払う(はらう)
これは「清風 明月を払い、明月 清風を払う」という対句の前句
です。後句をも含んでいることは言うまでもありません。
澄みきった空に明月がかかり、虫声しきりな萩、芒の原を風が颯颯と
吹きすぎる清夜のおもむきを詠じたもので、一読、心洗われるような
名句です。
この裏の意味はどうであろうかと、解説本をひもとけば、
およそ大乗仏教の根本思想は、「空」(くう)の一字に尽き、禅の修業
の目的はこの「空」を実地に身につけ、「空」の境涯に徹することである。
凡俗の迷いや執着はもとより、殊勝げな悟りをきれいに払拭し、「物
もたぬ袂は軽し夕涼み」と言う一切皆空・無一物の境涯にいたること
にある。
この「清風 払 明月 明月 払 清風」という句はまさに、迷悟・
凡聖などの一切を忘れ、内外ともに空に徹し切ったすがすがしい無一
物の境涯を、「月白く風清き」清夜の風趣に託して詠じたものなので
ある。
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