前回博物館へ行って本物の道具を見ようとお話しましたが、茶室も同様で
機会があってお茶の友人たちと京都お茶室をたずねてのバスツアーに参加
しました。
東福寺退耕庵、光明院、仁和寺遼廓亭、飛涛亭 金戒光明寺西翁院でした。
光明院にて表千家による呈茶があり、流派が違ってもお点前を見ながらお
茶をいただけるのは、うれしいことでした。道具の説明もありで、なおさ
ら喜びました。この寺の方丈前にひらけた池泉式枯庭園は「波心庭」と呼
ばれ、昭和を代表する庭園家重森玲氏によって作庭されたものだそうです。
築山の上にある茶室は、窓・障子・壁全体に月をかたどった大円形の意匠
が施してあり、庭園から見上げるとあたかも月が昇る姿を見上げるような
趣向となっているのがおもしろいでした。それ以外もどこの茶室もそれぞ
れが特徴のある茶室らしいものでした。
今の私の住んでいる場所には茶室を作るお金も場所の余裕もありません。
が、夫がリタイアして、田舎に住むようになれば土地は一杯あります。
お金は?マークですが、もし可能ならば私の理想は六畳の茶室、明かりは
一杯入る。本来の茶室の原点には程遠いものになりますが、狭い所、暗い
所恐怖症の私にはしきたりを破った破天荒な茶室だけれども、気にいった
茶室を建てたいものです。
先日お茶の研究会がありました。その時の講師がおっしゃいました。
決まりは決まりだが、決まりの向こうを研究する。また、楽しくお茶をし
ないと、難しい、しかめっ面な事ばかりでは続けられない。
私が日頃思っていることをおっしゃってくださってうれしくなりました。
間合いを研究する。お茶の順序は習えば誰でもだんだんとわかってくるが、
間合いは、人間対人間のその時の付き合い方、処し方であるから、その時
その時に応じて変化してそれに対応できるようにお茶を習うというのである。
また、お点前は気持ちをいかすことで、順番をその通りにするだけでなく
心を込めてお茶を点てると云うことが一番のポイントになる。
手慣れてくるとお点前も早くなってしまい、気持ちも離れてくるので、気
をつけよう。
このことは、私にも当てはまることなので、しっかりと聞きました。
<古筆 こひつ>
針切 はりぎれ
古筆切。伝藤原行成筆。相模集および源重之の子の僧の家集
の断簡。もとは胡蝶装の冊子本。線が細く丸みが少なく、鋭
鋒が露出しているため、針のように見えるところから針切と
いう。小堀切によく似ているため、針切を小掘と誤っている
のが少なくない。
蓬莱切 ほうらいぎれ
古筆切。伝藤原行成筆。拾遺集などの賀の歌五首を書写した
継紙の断簡。もと肥前平戸藩主松浦家に伝わり、昭和九年一
首ずつに切られた際に、同家の庭の名に因んで蓬莱切と名付
けられた。書風は清純高雅である。
了佐切 りょうさぎれ
古筆切。藤原行成筆。古今集の断簡、もとは胡蝶装の冊子本。
古筆了佐が極札を出したもので、この名がある。料紙は斐紙
、書風は俊成風の特色をよく示している、昭和切や住吉切に
くらべると、多少穏やかである。
離洛帖 りらくじょう
藤原佐理が991年大宰大弐となって九州へ下る途中、長門国赤
間ヶ関(下関市)から都にいる甥の藤原誠信に宛てた書状であ
る。冒頭に「佐理謹言、離洛之後云々」のことばがあるのでこ
の名で呼ばれる。佐理四十八歳の書で、内要は関白道隆に不参
之勘責を詫びることを誠信に依頼した消息である。近衛家熙の
模本一幅が付属し、松平不昧所持。益田鈍翁を経て乾豊彦の所
蔵となったが、近年畠山記念館所蔵。
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