11月から炉の季節になります。
風炉は一年中できますが、炉は十一月から四月までです。
前回の趣向の中で、「口切りの茶事に招かれる云々」とありました。
炉を開き、同じ頃に口切りの茶事、茶を詰めた茶壷の口を開けて、
その茶を用いて茶事をする事です。
茶家にとって、新春を迎えると同様のものです。一陽来復(いちよう
らいふく)、新しい年の最初の行事として茶壷の口切り、祝うのです。
口切(くちきり)
茶壷の口を切ること。新茶の葉茶のまま詰茶した壷は口と桐材の盛蓋
とに封緘紙を巻いて封印し、上醍醐、のちには愛宕山に登せて暑気を
すごし、涼気至って茶家に渡り口切を迎えるのである。
なお、将軍家などでは夏の口切(夏切)が行われた。
口切の茶事
茶事の一種。口切をし、茶臼で葉茶を挽き、その抹茶を客に点てて出
す茶事を言う。
詰茶の点初め式であり、正月の点て初め以上に重事である。
開炉の時季とほぼ同じく、九月から十一月初め(旧暦)に行われる。
口切の茶事には、内(ない)口切と口切の二種類があり、内口切は
茶師がはじめて封印を切って壷から新茶を取り出してする茶事のこと
で、一個の壷で一度しか行えないので、厳粛な祝儀である。
この内口切りを行ったあと亭主の印で封じられて行われる茶事を単に
口切と称す。この茶事は二度、三度催うされてもよい。
私は、この季節が一番お茶らしいと思います。
先生の説明によりますと、
お茶やさんが、始めに内内で、口切りをした後、亭主の元に茶壷を届け
ます。その時に昔は屋敷内のと言うか、地元で取れた栗や柿をお土産に
持参されるそうで、それもお菓子の時に一緒に出されたそうです。
茶事の挨拶の後、茶壷の口切りがあり、客は壷の拝見をいたします。
その時、壷を持つ時は水指を持つようにぺったりとは持たないように指
を立てるようにして正客は次客の方へ、次客以後は正客の方へ回して拝
見します。
その後、水屋で葉茶を臼で挽きます。その音を聞きながら懐石をいただく。
なんと、風情のある事でしょう。
その後、挽きたてのお茶でお濃茶、お薄をいただくとなります。
客の順番で、一番は正客、最後はお詰めと言いますが、それは、お茶や
さんが席中で最後の客になっていたのが、お詰めになったと言われます。
<開炉>
茶人は炉を開きます。
10月末か、11月始めの亥の日(いのひ、いのししのひ)に炉を開
きます。
この日は、火事がおこり難いという言い伝えからです。
犬のお産が軽いので、戌(いぬ)の日に腹帯をするのと同じです。
申(さる)の日は火がおこるので、最も嫌われます。
今年は11月3日、15日が亥の日です。
お茶の世界でのお正月のようなものですから、お餅をついて
いのこ餅やおぜんざいをお出ししたりもします。
準備する上で注意すべきことは、
竹の蓋置を使用するときは節が中ほどにある炉用を使用します。
柄杓も炉用で、柄の切止めが皮の方にあるものを使います。
<稽古の着物>
着物は、普段のお稽古にも着ていくようにして、着物に慣れておく
ことが大切です。年に一、二回のお茶会の時だけ着付けてもらって
も着なれていないために、自然な身動きができず、お茶をゆったり
味わうこともできません。
また、着物を着て稽古した方が、自然に背筋も伸び、茶の湯のさま
ざまな所作も身についていくものです。
春、秋、冬には紬などお茶会で着られない物を着てみるのも楽しい
でしょう。夏はゆかたがおすすめです。席中では足袋をはくように
して、自分で着る稽古を心掛けましょう。
<国語の時間>
醍醐(だいご)
醍醐はこの世で最高の味
「野球のだいごみは,なんと言ってもホームランですね」
などと言ったりしている。こういう場合「だいごみ」は、ものの本
当の面白さ、という意味に使っているが、本来は「醍醐味」と書くよ
うに、味のことだ。
では、「醍醐」と言う食品はどんな食品かというと、大変に手間がか
かる。だから貴重なものだった。まず、大きな鍋に牛乳を満たし
それをとろ火で半日ほど煮詰める。すると、ドロドロになって、ス
イスのチーズ料理のようになる。それを「酪」と言う。それをなお、
焦げ付かないように注意して、半日ほど煮詰めると、粘りのあるおか
らみたいな物になる。それを「酥(そ)」という。この酥を直径50セン
チほどある鏡餅のような形にし、三、四日そのまま置いておく。これ
を真ん中から切ると、酥の中心部にトロンとしたシュークリームの
クリームのような物質ができている。これが醍醐である。
これはこの世の最高の味で、皇族や貴族が薬用、美容、強精のため召し
上がったもので、とても庶民の口に入るものではなかったのである。
さて、奈良時代は思いのほかハイカラな時代で、酪もあったし酥もあ
ったし、砂糖さえ輸入されていた。だから、美人の誉れ高かった、光
明皇后は、当然醍醐も召し上がっていただろうし、他の乳製品の菓子
もお召し上がりであったろう。
無学(むがく)
学ぶべきものがなくなった最高の位
昔の流行歌の間に入るセリフに、そりゃ・・・無学なこの俺を親に持
つお前は不憫な奴さ。泣くんじゃネェ、泣くんじゃネエよ。おいらも
泣けるじゃネエか。ささ、いい子だ、ねんねしな。」とある。女房に
逃げられた無学な男の哀しみがよく出た台詞である。
「無学」は日常語では「学が無い」状態で、あまり誉められたことで
はない。ところが実を言えば、佛教語の「無学」は、とんでもない誉
め言葉である。佛教では、「有学」(うがく)と言えば、佛教の真理は
知ってはいても迷いを断ち切っていず、従ってまだまだ学ぶべきこと
がたくさんある状態を言う。反対に「無学」は、佛教の真理を究めて
おり、迷いが無くなり、もはや学ぶべきものがなくなった状態だ。
「無学なこの俺」であれば、佛教では最高の位に達した人間で、素晴
らしい男だ。そんな男を親に持った子供は、決して不憫でない。幸せ
である。
このように、佛教の言葉と世間の言葉では正反対になっているものが
あるから、注意を要する。
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