「教えて茶道」Vol,101

山吹(やまぶき)の花を見に井出の里(いでのさと)へ行ってまいりました。
やまぶきは、バラ科の木で、山峡の渓流沿いに黄金色の花を咲かせ人家の
庭にも多い。高さ2メートルくらいに数多く束生する落葉樹。花は5弁。
しろやまぶきは花が4弁で格調高い品のよい花である。古くから、風に長
い茎が揺れ動くところから「山振」とも書かれることもある。

場所は京都府城陽市、宇治田原町、山城町、京田辺市に囲まれた、歴史の
ある町で、町の中を流れる玉川は、日本六玉川の一つと知られ、奈良時代
に橘諸兄(たちばなのもろえ)によって堤にヤマブキが植えられたことか
ら名所となり、多くの歌人が競って歌を詠み、歌や物語などでその名を見
ることができます。
現在は桜並木とヤマブキで知られ、春には「桜まつり」が開かれます。
残念ながら、私達が行ったときは、桜はもう終わっていましたが、川沿い
に、山吹の黄色があざやかな色を見せていました。
ハイキングコースを歩いた山の中にもヤマブキの黄色があり、山の木々の
芽吹きの色とりどりの緑の濃淡の中に色彩を添えて、さすが名所だと感じ
ました。

茶道では、山吹といえば、「井出の里」「歌の戸」という銘があります。
「井出の里」と言われれば、ヤマブキを指しているのだと覚えて下さい。
「吉野」と言われれば、桜の名所で、桜と思いついて下さい。
昔からの名所ですから、その土地の名を言えば、その花の名前がわかるの
です。今ごろ名所になったからと言って、その土地の名前を言う訳にいき
ませんが…
直接に、さくらやヤマブキとは言わずに、連想させると言うのは、いか
にも、日本的情緒のあるお茶らしい感じとは思いませんか?
前にも書きましたが、「歌の戸」の説明をいたします。
これは、太田道灌の故事来歴によります。
後に江戸城を作った室町後期の武将だが、ある鷹狩の帰りに雨に降られ、
山間の民家で雨具を貸してくれるよう頼んだ。
だが、出てきた娘は黙ってヤマブキの花を一枝差し出した。
はてはどうしたことかと、いぶかしがって帰ってくると家来の一人が教
えてくれた。後拾違和歌集に
「七重八重花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞ悲しき」
という歌がある。娘はこの「実の」と雨具の「蓑」をかけて、蓑ひとつ
もありませんと断ったのだと。
ちなみに、ヤマブキには実がつくが、八重のヤマブキには成らないのだ
という。
いずれにせよ道灌はこれで自らの無学を恥じ、歌の道に精進し歌人とし
ても知られるようになった。


<お茶碗の取り方>
出された茶碗を取り上げるには、まず、茶碗のま横より親指を伸ばして
茶碗の縁にかけ、高台のわきをしっかりと持ち上げます。
※ 高台(こうだい)茶碗・鉢・皿などの底部の基台をいう。
高台は大切な所なので、直接さわらないようにします。そして茶碗を、
指を揃えて伸ばした左手の平、指先ではなく中央にのせます。
茶碗をのせたら、右手の親指は縁から下ろし、横からしっかりと支え茶
碗を包むようにして持ちます。大切な茶碗だからと緊張しすぎるのはよ
くありません。普段から気持ちを引き締めて器を扱っていれば、自然に
身につくものです。


<茶事>についての補足
<主菓子 おもがし>
食後のデザートが気持ちを豊にするように、懐石を香の物と湯漬けで締
めくくった後、主菓子が登場するとうれしくなります。
主菓子は、餡を使った練りものや餅菓子が多く、縁高(ふちだか)に一
人分ずつ入れられてきます。そのまったりとした甘さが、中立ちのあと
の濃茶をおいしく味わわせてくれます。
大寄せ茶会は、懐石の部分を省略してこの主菓子から始まる場合があり
ます。主菓子から濃茶、その後干菓子から薄茶と言う流れは、茶事も大
寄せ茶会でも同じですが、両者の違いは相当なものです。茶事を経験せ
ずに茶は語れないと言えます。主菓子は懐石のあとでこそ美味であると
言われます。
最近の大寄せの茶席では主菓子、干菓子を両方出し、薄茶だけ差し上げ
る席のほうが多いです。